2011年07月28日

被災地支援について

このところ、悩み始めています。

私だけじゃなく、何度も被災地に行っている方々の中にも

同じように、いろいろ考えちゃっている人も多いようで

今日も、支援活動をしている私のヘアメイクの方から

今後の支援についてどう考えてる

と、お電話がありました。



場所によっても、もちろんチガウのですが

避難所から仮設住宅に移ってきている現在

正直、お断りをされるところも増えているようです。

市・町の管轄で全部動かして来たものを

各自治体が自立して動けるように・・・と

いろんなことをシフトしているようです。


今後、被災された方々自身が

地元でいろいろ精力的に活動してゆくのに

手助けが必要ならもちろんお手伝いはしたいけど

外部の人間が伺うことで

その方々の活動の場所を奪っちゃうようなことは

絶対してはいけないと思っています。


今までまとめて、市や町に問い合わせれば得られた情報も

各自治体となると、情報を得るのも難しかったり・・・


私も、少しずつリサーチしてゆきますし

同じような支援活動をしている者同士

情報交換を密に取っていくつもりですが

今の被災地・被災者の「希望・要望」を

ご存知の方は、お知らせ頂けると幸いです。



posted by 宮西 希 at 23:48| Comment(0) | 東日本大震災Music for You

2011年06月24日

今回感じたこと・9


東北から関東に戻ってくるとき

おぉ〜スゴイじゃん!と思ったのが

関東の真っ暗さ!


みんな、電気がんばって消してますね〜ぴかぴか(新しい)


正直に書いちゃうと

東北は、電気の使い方は今までの関東と変わりありません。

もともと都心などより電力消費量は少ないと思いますが

どのコンビニも、とても明るく電気がついているし

お店の中も、昼間でもたくさんの電気がついています。

その中から帰ってくると、特に感じますが

関東の人たちが、本気で節電しているのが

ものすごくよく分かります。


東北自動車道はもちろん

首都高も、真っ暗!

でも、なんだかもう慣れちゃいましたよね?

逆に、首都高で夜間走行していてトンネルに入ったとたん

明るすぎてびっくりしている自分に、ビックリしています。

前は、こんなにまぶしいトンネルに入っても

特に何も感じなかったくらい

外の道も、ものすごく明るかった。


それから、世の中のいろんな細かいことが

今までと変わっちゃったけれど

その原因が震災によるものだったりすると

前だったら「なんだよ〜」って思っていたようなことも

「あ、仕方ないな」って、許せるキモチになっていたりします。


例えば電車が、ちょっと遅れているだけでも

前だったら「おいおいっ!」って思っちゃっていたけど

遅れるどころか、ものすごく数が減っていても

なんだか納得してるし、許せてる。


欲しい物が、すぐに手に入らなかったとしても

車で走行中、コンビニを探していて

真っ暗なあまり、通り過ぎてしまったりしても

道がダメになってて迂回させられても

「・・・っ、ちょっとっ!」って思うことが

すっかりなくなった。


今までの日本全体が裕福で贅沢で、それに甘えていた気持ちが

当たり前ではないってことを

あらゆる場面ですごく感じています。







posted by 宮西 希 at 05:51| Comment(0) | 東日本大震災Music for You

今回感じたこと・8(原町第二中学校)

今まで2ヶ月半伺った避難所全部ひっくるめたの中で

1番印象に残った避難所が

今回伺った、南相馬市の原町第二中学校でした。


どこの避難所でも、スタッフの方々は

ものすご〜く優しくて親切で

丁寧に対応して下さる方ばかりなのですが

特に、ここは、数日前に問い合わせの電話をしたときから

なんだかとてもやさしさと体温を感じる対応でした。



原町第二中は、放射能のため、学校としての運営ができないので

この学校の生徒達は、自主避難地域の外の学校に通っています。

つまり、建物だけ、一時的に休校状態です。

そこを、避難所として使っているのですが

普通、学校を避難所として使う場合

体育館を使います。

が、この学校は、教室を使っていました。


そして、オープンスペースに食堂が作られていて

食事はみんなそこに集まって、という体制ができていました。

私もそこで弾かせていただいたので

おそらく普段から、そこは

人が集まるスペースになっているのだと思います。



体育館で、自分のスペースがたたみ数畳分で

そこで全てのことをするというより

校舎内を自由に移動できるだけの距離があり

食事は食事、寝る所は寝る所、と分けられていること

大勢で集まる所と、ある程度少人数での部屋に分けられていることが

とても活気を生んでいるような気がします。


そして何より、避難所のスタッフの方の空気が

なんと言うか、上手く書けないのですが

本当に他と違うんです!

当日も、13時に伺った私にお昼ご飯の心配までして下さったんです。

こんな所は初めてでした。


そしてここは、たくさん避難所を回った中で唯一

集合写真を撮ろう!と、一緒に撮った程

スタッフさん、避難している方々がとても仲良さそうです。


そのスタッフさんたちは

とても人の気持ちを汲み取るのが上手く、乗せ上手で

どうしてかな〜?と思っていたら

津波で学校を無くした学校の先生や

自然の家の方=社会教育主事さんだったりしました。


スタッフの方から、後でメールも頂きましたが

実は2泊3日の朝5時〜夜10時までの勤務で

しかも片道130km以上かけていらしているそうです。

でも、そんなそぶり一切お見せにならないで

始終明るく、元気で、いつも笑顔でした。

裏でそういう努力をされている方が

たくさんたくさん、いらっしゃるんですよね。


しかもこの避難所、スタッフの方も同じ県内の県民なんですね。

他の避難所は、東京やもっと西の地域から

派遣されているスタッフさんだったりすることもありますが

同じ福島県民同士の、その結束というか

固いつながりと、同郷だからこその愛情を感じました。

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避難所で演奏をしている最中に作って下さっていたのでしょう。

こんな感謝状を頂きましたぴかぴか(新しい)

やっぱりここのスタッフの方々、普通じゃありません。

どんなときでも、こんな細やかであったかい気遣いのできる人に

私もなりたいな、と思いました。






posted by 宮西 希 at 05:49| Comment(0) | 東日本大震災Music for You

今回感じたこと・7

釜石からの帰り道、陸前高田を通りました。

以前伺ったときと、少し変化がありました。

ガレキをとりあえずまとめて、更地を作っている

という状態だった4月下旬

そこに、数百メートルに渡って

数メートルの高さに土が盛られ、平に固め始めていました。

どうやら、新しい道を作るようです。


また、更地の中で、もともとそこでお店をしていたのでしょう

小さな掘建て小屋を建て

木の板に赤いペンキで「営業再開exclamation」と書いて

何やら一生懸命準備をしている方がいました。

更地のあの地区で、第1号です!

誰かがスタートしたら

周りも「よしっ」ってなるような気がします。


そして、前回4月頭の釜石では手に入らなくなっていた

魚の加工品が、同じパッケージでお店に並んでいましたぴかぴか(新しい)


少しずつ、「復活」して来ているのを確かに感じました。




posted by 宮西 希 at 05:14| Comment(0) | 東日本大震災Music for You

今回感じたこと・6

「被災地では、どんなことを望んでいるの?」

「欲しい物ってなんだろう?」

そんな質問を、よくされます。


私も被災地での生の声を

いろんな形で伝えられるなら伝えたいと思って

ずいぶん前から、避難所でお話ができたら

直接、聞いてみていました。



そうすると、多くの人は半分冗談のように笑いながら

「そりゃあ、家が欲しいよ〜!」


そうですよね・・・返す言葉がいつも見つからなくなります。


でも、やはり多くの方がおっしゃるのが

「こんなに全国の知らない方々から、たくさん良くしてもらって

本当に感謝している」

「自分は、まだ良い方だから・・・」


長年、寒い所で生活している東北の方は

大変に我慢強いと伺っています。

でも、家も何もかも失っても

そうおっしゃるんですよね・・・

「うちは家族が全員助かったから・・・」

「うちは、仕事が続けられそうだから・・・」

今回お会いした方達も

3ヶ月も経って、まだ避難所にしか居場所がない方々なのに

みなさんそういう言い方なんです。


不満だって不安だって、たくさんあるはずのに

多くの方は、今の現状に対して

また、その現状に多くの人が関わっていることに対して

とても感謝をしていらっしゃいます。

それって、スゴイことだと思うんです。




posted by 宮西 希 at 04:56| Comment(0) | 東日本大震災Music for You