2021年12月21日
皆様からの寄附金
2021年も終わろうとしています。
この数年、ずっと心に引っかかっていることがありました。
2011年3月、東日本大震災が発生したあと
まだ着の身着のままで避難している方が大勢いらっしゃる避難所に
ことじろうを連れて、音楽を届けに行きました。
その私の活動を見て下さっていた、私の音楽を聞いてくださる方々から
直接被災地に行っての支援ができないけれど
被災地に音楽を届けに行くことの支援をしたい
というお声が上がり
私の活動費(交通費や宿泊費)のためのお金を寄付して頂く
Music for You プロジェクトが発足しました。
毎月のように、たくさんの方々から寄付金を入金していただき
私はそのお金のおかげで、何度もなんども被災地に足を運び
音楽を届けることができました。
避難所が、仮設住宅になってからもそれは続きました。
時が経つに連れて
被災した方々が1つの場所に集まっているという生活ではなくなり
個々の家庭や個人の、生活の差というものも現れ
「被災した方に向けて1度に音楽を届ける」という活動は
お役目を終えた、と感じた時期がありました。
その時に残ったままになっていたお金は
Music for Youの銀行口座で大切に保管していました。
この度、震災から10年経過した今年も終わるということで
全て寄付させていただくことにしました。
皆様から頂いた寄付金に、ほんの少し利子がついて
全部で53,671円。
東日本大震災のために集まったお金ですので
何かそれに関係した寄付先がないかと探していたのですが
あしなが育英会の中の
「東日本大震災遺児の支援事業」に充てて頂こうと考え
先日、全額寄付をさせて頂きました。
当時、皆様のお気持ち・お力で、被災地での演奏が続けられたことに
今でも心から感謝しております。
あらためまして、本当に、どうもありがとうございました。
10年という時間が過ぎても
あの震災で傷ついた心を抱えたままの方が大勢いらっしゃいます。
音楽には、そういう方々に寄り添える力があると
私はずっと、信じていますし
そのようなたくさんの方々のお心が
時間や周りの方々のあたたかさ、そして音楽の力で
少しでも穏やかに修復されていることを祈っております。
posted by 宮西 希 at 11:09| Comment(0)
| 東日本大震災Music for You
2015年04月16日
Music for You会計報告
3月30日〜31日で福島県に伺った際
Music for Youの支援金から一部使わせて頂きました。
ご支援いただいているみなさまに
心から、御礼申し上げます。
どうもありがとうございます!
今回、宮西 希本人と同行スタッフ1名、合わせて2名分として
ETC高速道路料金 19,410円
ガソリン代 15,649円
食費 4,139円
ーーーーーーーーーーーーーーー
合計 39,198円
以上を支援金より使わせて頂きました。
また、現地での宿泊と
何度もの食事代(ラーメン三昧!)は
ラジオ福島の大和田 新アナウンサーよりご厚情頂きました。
絆診療所や Jヴィレッジのコンサートを実現させて下さっただけでなく
現地をたくさん案内して下さったり
門馬よし彦さんをご紹介下さったり
生放送にも2時間丸々出演させて頂いたり
本当に、大変お世話になりました。
心より感謝申し上げます。
2日で1000km走ってくれた
エクスプローラーくんにも感謝です♪
Music for Youプロジェクトの詳細は
下記をご覧下さい。
Music for Youプロジェクト
Music for Youの支援金から一部使わせて頂きました。
ご支援いただいているみなさまに
心から、御礼申し上げます。
どうもありがとうございます!
今回、宮西 希本人と同行スタッフ1名、合わせて2名分として
ETC高速道路料金 19,410円
ガソリン代 15,649円
食費 4,139円
ーーーーーーーーーーーーーーー
合計 39,198円
以上を支援金より使わせて頂きました。
また、現地での宿泊と
何度もの食事代(ラーメン三昧!)は
ラジオ福島の大和田 新アナウンサーよりご厚情頂きました。
絆診療所や Jヴィレッジのコンサートを実現させて下さっただけでなく
現地をたくさん案内して下さったり
門馬よし彦さんをご紹介下さったり
生放送にも2時間丸々出演させて頂いたり
本当に、大変お世話になりました。
心より感謝申し上げます。
2日で1000km走ってくれた
エクスプローラーくんにも感謝です♪
Music for Youプロジェクトの詳細は
下記をご覧下さい。
Music for Youプロジェクト
posted by 宮西 希 at 01:00| Comment(0)
| 東日本大震災Music for You
2015年04月15日
中浜小学校・黄色いハンカチ
宮城県山元町中浜小学校の横には
大きな木にたくさんの黄色いハンカチが風になびいていました。
そこには、応援のメッセージもですが
地元の方々の希望や
支援応援への感謝の想いがたくさん書いてあります。
「黄色いハンカチ」はこの町から、樹から
「住民のみんな待ってるよ〜!」
というキモチを表しているんでしょうね!
posted by 宮西 希 at 22:15| Comment(0)
| 東日本大震災Music for You
2015年04月14日
中浜小学校
震災時、宮城県山元町の中浜小学校は
校長先生の判断で生徒は屋上に上がり
足元まで津波は来たけど全員助かりました。
マニュアルでは「坂元中学への避難」となっていたけれど
20分かかるので、現場判断で屋上に避難したそうです。
校長先生は迎えにきた親も、帰さなかったそうです。
校舎前に昔の津波の碑があったことで
校長はこの判断をしたそうです。
現在は津波で、この碑も倒れています。
過去二回の津波の被害が書いてあり
高さ六尺・七尺、死んだ馬の数などの文字が読めます。
記録は残すべきですね、後世のために。
そして是非読んで頂きたいのが
中浜小学校の震災の記録。
その1
その2
ここの先生方、本当に素晴らしいです!
前もって、どれだけの訓練、準備、議論をしてきたのか。
「迎えに来た保護者も帰さない」には
保護者から異論も出たそうですが
その考えを貫いた先生方は、本当にすごいと思う。
しかも、このようにきちんと記録を残しています。
そして、次の写真の碑は新しく作られたもの。
ここで育った生徒たちへの想いが書いてあり
切ないですが、あたたかさを感じます。
子ども達を守り切った先生たちの
たくましく生きていけ!という想いが溢れていて
何度読んでもグッときます。
posted by 宮西 希 at 11:22| Comment(0)
| 東日本大震災Music for You
2015年04月11日
浪江町の今の様子
浪江町での様子。
昔、双葉町でのコンサートで
浪江町の方々は私のCDをたくさんたくさん買って下さったんです。
その私のCDもたくさん、津波に流されてしまっているでしょう。
そんなこともあり双葉・浪江は私には特別な思いがあります。
この日、波江出身のシンガーソングライター
門馬よし彦さんに案内していただきました。
彼の「ここがオレの部屋だったとこ〜」と指差す写真
手前右側にタイルが残っているのが玄関だな〜と分かります。
ここに、暮らしがあったんだということを
実感させます。
彼は知り合いの近所のお家にも
かならず手を合わせタバコを手向けていました。
一緒に住んでいた友達や知人を失くしたら
だれでもそういう気持ちになるでしょうが
そういう思いをしている人がものすごく大勢いて
しかもまだ帰れない・見通しが立たないという気持ちまで
本当に想像して、わたしたちは日々忘れないで
暮らしていかないとな…とおもいます。
波江は、まだ帰っては行けない地域になっていますが
線量はちっとも高くない。
むしろ、こうやってきちんと測っていない首都圏や
その他の地域の方がどうなんだろう?
除染した土が入った、大きな大きな黒い袋が
たくさんたくさん積まれている町並みを見ながら
そうおもいました。
「仮置き場」だそうですが
「仮」設住宅もですが
いつまで「仮」なんでしょうね。
もう4年、経っています。
家から20歩で海。
「ここで毎朝、海を見ながら歯磨きしてたんだよね」って。
100歳のお祝い。この方、どうしただろう・・・。
あの年も、最初に復活したのは草花たち。
昔、双葉町でのコンサートで
浪江町の方々は私のCDをたくさんたくさん買って下さったんです。
その私のCDもたくさん、津波に流されてしまっているでしょう。
そんなこともあり双葉・浪江は私には特別な思いがあります。
この日、波江出身のシンガーソングライター
門馬よし彦さんに案内していただきました。
彼の「ここがオレの部屋だったとこ〜」と指差す写真
手前右側にタイルが残っているのが玄関だな〜と分かります。
ここに、暮らしがあったんだということを
実感させます。
彼は知り合いの近所のお家にも
かならず手を合わせタバコを手向けていました。
一緒に住んでいた友達や知人を失くしたら
だれでもそういう気持ちになるでしょうが
そういう思いをしている人がものすごく大勢いて
しかもまだ帰れない・見通しが立たないという気持ちまで
本当に想像して、わたしたちは日々忘れないで
暮らしていかないとな…とおもいます。
波江は、まだ帰っては行けない地域になっていますが
線量はちっとも高くない。
むしろ、こうやってきちんと測っていない首都圏や
その他の地域の方がどうなんだろう?
除染した土が入った、大きな大きな黒い袋が
たくさんたくさん積まれている町並みを見ながら
そうおもいました。
「仮置き場」だそうですが
「仮」設住宅もですが
いつまで「仮」なんでしょうね。
もう4年、経っています。
家から20歩で海。
「ここで毎朝、海を見ながら歯磨きしてたんだよね」って。
100歳のお祝い。この方、どうしただろう・・・。
あの年も、最初に復活したのは草花たち。
posted by 宮西 希 at 16:25| Comment(0)
| 東日本大震災Music for You