1番印象に残った避難所が
今回伺った、南相馬市の原町第二中学校でした。
どこの避難所でも、スタッフの方々は
ものすご〜く優しくて親切で
丁寧に対応して下さる方ばかりなのですが
特に、ここは、数日前に問い合わせの電話をしたときから
なんだかとてもやさしさと体温を感じる対応でした。
原町第二中は、放射能のため、学校としての運営ができないので
この学校の生徒達は、自主避難地域の外の学校に通っています。
つまり、建物だけ、一時的に休校状態です。
そこを、避難所として使っているのですが
普通、学校を避難所として使う場合
体育館を使います。
が、この学校は、教室を使っていました。
そして、オープンスペースに食堂が作られていて
食事はみんなそこに集まって、という体制ができていました。
私もそこで弾かせていただいたので
おそらく普段から、そこは
人が集まるスペースになっているのだと思います。
体育館で、自分のスペースがたたみ数畳分で
そこで全てのことをするというより
校舎内を自由に移動できるだけの距離があり
食事は食事、寝る所は寝る所、と分けられていること
大勢で集まる所と、ある程度少人数での部屋に分けられていることが
とても活気を生んでいるような気がします。
そして何より、避難所のスタッフの方の空気が
なんと言うか、上手く書けないのですが
本当に他と違うんです!
当日も、13時に伺った私にお昼ご飯の心配までして下さったんです。
こんな所は初めてでした。
そしてここは、たくさん避難所を回った中で唯一
集合写真を撮ろう!と、一緒に撮った程
スタッフさん、避難している方々がとても仲良さそうです。
そのスタッフさんたちは
とても人の気持ちを汲み取るのが上手く、乗せ上手で
どうしてかな〜?と思っていたら
津波で学校を無くした学校の先生や
自然の家の方=社会教育主事さんだったりしました。
スタッフの方から、後でメールも頂きましたが
実は2泊3日の朝5時〜夜10時までの勤務で
しかも片道130km以上かけていらしているそうです。
でも、そんなそぶり一切お見せにならないで
始終明るく、元気で、いつも笑顔でした。
裏でそういう努力をされている方が
たくさんたくさん、いらっしゃるんですよね。
しかもこの避難所、スタッフの方も同じ県内の県民なんですね。
他の避難所は、東京やもっと西の地域から
派遣されているスタッフさんだったりすることもありますが
同じ福島県民同士の、その結束というか
固いつながりと、同郷だからこその愛情を感じました。

避難所で演奏をしている最中に作って下さっていたのでしょう。
こんな感謝状を頂きました

やっぱりここのスタッフの方々、普通じゃありません。
どんなときでも、こんな細やかであったかい気遣いのできる人に
私もなりたいな、と思いました。