2013年01月17日
飯舘村2
みなさんに広くご紹介したい方がいる。
この飯舘村仮設住宅集会所の管理人をされている、佐野さん。
本当に明るく、朗らかで
彼女のいる空間が、ものすごく温度が上がるし
明るさが増す。
まるで太陽みたいなおかあさん。
仮設に入ったのは、お年寄りが多い。
彼女はこの仮設から、寝たきり老人を出しては行けない!
と、行動を起こした。
昔、戦争の頃、飯舘村の女性は
着物をほどいてもんぺを作ってたのを思い出し
みんなで着物から作務衣を縫う講座を、集会所で催した。
仮設でやることができ、人と集まることができ
集会所が生き生きとし始めた。
それを見ていたジャーナリストの助言もあり
彼女はこの作務衣を「までい着」として
世の中に発信し始めた。
「までい」
これは飯舘村で昔から使われる言葉で
手間をうんとかけ、心を込めて丁寧に丁寧にしごとすること。
(反対語は「手を抜く」といった感じ)
飯舘村では昔からみんな
までいに仕事をしてきた。
までいに作ったこの作務衣を
「までい着」と名付けた。
彼女は、飯舘村にいた頃、農家だった。
でも、家にはいつも大勢人が集まる。
それは、ムードメーカーの佐野さんの
お人柄がなせるワザ。
彼女はその後、人が集まってくれて
みんなをもてなすのが好きで楽しい、と
農家民宿を開く。
今までなかった発想に、東京からのリピーターが増え始めた
その時に、震災が起こった。
そして、放射能が飯舘村を襲った。
彼女がスタートさせた「までい着」は
全国から寄贈された着物を元に作られ
東京の百貨店でも、売られるようになった。
そしてついに、羽田空港でも
置かれることが決まったそう
タグには
「までい」いいたて
と入っている。
私も着させて頂きました
真ん中が佐野さん、とても可愛らしい方なんです。
右は、車で先導して下さった
ラジオ福島アナウンサーの山地さん。
『避難生活を送る飯舘村の女性が
未来へ向かって自立するために
「いいたてカーネーションの会」は生まれました。
「村に帰る」「働いて生活する」という夢を託し
ふるさとの心を込めた手作りの「までい着」を作っています。
着物・帯・反物・糸など寄贈いただける方は
左記メールアドレスにてご連絡くださいますよう
お願い申し上げます』
縫子さんたちの名前が、全部明記されている。
彼女は私に
「自分達が、動き始めなければダメ」
そう言った。
いいたてまでいの会
犬グッズの次に好きなフクロウがいたので
思わず、買っちゃった
このフクロウが入っていた袋
それを開けた時、「までい」が分かった。
袋からフクロウを出せば、袋の役割は終わる。
だけど、キチッと丁寧に、折り目1つ1つも真っすぐ
貼ってあるセロテープも真っすぐ
少しのゆがみもなく、フクロウは袋に入っていた。
貼ってあるシールも、もちろん真っすぐだ。
川俣の納豆も、買っちゃった
彼女が管理人をしている集会所。
佐野さんと、会長さん。右は大和田アナウンサー。
この会長さんも温和で静かにお話される方ですが
とてもおっしゃることが、深い。
「家庭は、女が明るくあれば上手くいく。
それと同じで、この人がいるからこの仮設は上手く行っている」
と、佐野さんのことをおっしゃっていました。
ちなみに、こ〜んなに雪、積もったの
posted by 宮西 希 at 10:33| Comment(0)
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