2021年03月11日

あれから10年

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あの日のことを想像できないような、穏やかであたたかな春の海。

10年前のことは、誰もが忘れられずにいると思う。


あの頃のようにフットワークの軽い動きを

私は今はできなくなってしまったけれど

ひとつだけ大事な仕事が増えた。


娘には、小さな頃から地震や津波のことを教えてきた。

あまり幼い頃から地震や津波のことを教えると

ショックで夜泣きをするようになったり

極端に怖がってしまうと聞いてもいたけれど

そんなこといっているうちに大きな地震や津波が来てしまったら

海の前に住んでいる我が家はひとたまりもない。


この辺で遊んでいる時に大きな地震が起きたら

ひとりででも図書館に逃げなさい。


この辺りだったら、この坂を登って公園に行きなさい。


うちの近所まで帰ってきていても

うちよりも近かったらこのビルの

外階段でいいから5階まで昇りなさい。


大丈夫。

私もちゃんと逃げているから。

お互いに生きていれば、必ずあとで会えるから。


『津波てんでんこ』


私が震災後に釜石に滞在中、教えて頂いた言葉を

娘も口にする。


震災直後に、私に避難所での演奏を依頼してくださり

宿泊させて頂いた友人の実家である釜石のお寺は

幼稚園を経営している。


地震発生時、ちょうど幼稚園は帰宅時間帯で海側でバスを走らせていた。

海からの道は一本道で

津波から逃げようとする車で大渋滞になることを予想したバスの運転手さんは

一瞬の機転でバスを新日鉄の敷地内に入り込ませた。


そのままバスを走らせて海からの距離を稼いだことで

園児全員の命を守った。

でも家族を亡くした園児たちはたくさんいて

幼稚園が再開したあと

海で父親を亡くした園児は海を見るだけで泣き出してしまう。

先生は毎日、バスが海沿いを走る時は

その子を海が見えない側に席を移動させたそうだ。


直接話を聞いた時も

そしてその園児たちの前で演奏したときも

泣くのをがんばって我慢していたけれど

今、娘がちょうどその年齢。

今日幼稚園からバスで帰宅したのも、まさにあの時間。

あの時よりもっと具体的に、感じ入り考えられるようになった。


必ず、命を守らなければならない。

そして彼女に、悲しい苦しみを背負わさないよう

私自身の命も守らなければ。


そしてこれはどんな子にも、どんな大人に対しても

同じこと。


娘は成長し

「家にいる時に大きな地震と津波が来たら、ルカにリードをつけて屋上まで逃げる」

と言うようになった。

頼もしい。


本当は、大地震なんて来ないのが一番だけど

あの時に様々なことを経験させて頂いたのは

「人の役に立て。今後の自分の役に立てろ」

という神様からのメッセージが含まれていたような気がする。


10年前から数年にわたってたくさんたくさんの東北の地に伺った私は

多分他の方よりたくさんたくさんの方々の想いを受け止めたつもり。

お話をいっぱいしたのに、その後亡くなってしまった方もいる。

遭遇した出来事、聞いた言葉、感じた想いは

全て私の心に蓄積されているから

少しずつでもゆっくりでも

必ず音に生かしていくことを約束します。


Nさん、Sさん、どうか安らかに…。

あの日悲しい想いをされた全ての方が、必ず少しずつでも癒されますように…

そして、私の人生において

大きな大きな経験をさせてくださった

モカパパ、モカママ、チーム正福寺の皆様に

心からの感謝を申し上げます。




#東日本大震災
#東日本大震災を忘れない
#東日本大震災から10年
#津波てんでんこ
posted by 宮西 希 at 23:48| Comment(0) | 希の考察
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