震災の時小学生だった子が
15歳以下は入ってはいけない浪江町にやっと戻ってきた証を
震災に遭った時いた小学校の教室の黒板に書いた。
「絶対に帰るから」
「われらは海の子」
そのまわりになぜ
宗教や企業や原発反対の文字を書くのか?
ここに来た記念ですか?
恥ずかしくないのか?


ここに連れて行って下さった
ラジオ福島の大和田アナウンサーは
「犬のマーキングと一緒だ」と憤る。
ただ、自分の来たってことを残したいだけ。
春日部九条会とかって、戦争放棄は私だって賛成だけど
ここにそんな政治的主張とか宗教とか書くのってちがうでしょ?
地元として非常に腹が立つ!
大人としてみっともないと思う。
この黒板、ここにいた人達がどんな想いで書いたものなのか
少しでも想像したことあるの?
最初に書いてあった文字は
「天は乗り越える事の出来る試練しか与えない」
だったそう。

励ましの言葉なら、まだ分かる。
でも、個人的な主義主張、会社名、宗教名って
自分の宣伝のために書いているの?
本当に、震災前の町を知っている人や
震災直後を見ている人
実際にそこにいた方々と触れ合っている人は
そんなこと、しないし、できないよ。
この町の人達の思いを、汚して欲しくない。