浪江町での様子。
昔、双葉町でのコンサートで
浪江町の方々は私のCDをたくさんたくさん買って下さったんです。
その私のCDもたくさん、津波に流されてしまっているでしょう。
そんなこともあり双葉・浪江は私には特別な思いがあります。
この日、波江出身のシンガーソングライター
門馬よし彦さんに案内していただきました。
彼の「ここがオレの部屋だったとこ〜」と指差す写真
手前右側にタイルが残っているのが玄関だな〜と分かります。
ここに、暮らしがあったんだということを
実感させます。
彼は知り合いの近所のお家にも
かならず手を合わせタバコを手向けていました。
一緒に住んでいた友達や知人を失くしたら
だれでもそういう気持ちになるでしょうが
そういう思いをしている人がものすごく大勢いて
しかもまだ帰れない・見通しが立たないという気持ちまで
本当に想像して、わたしたちは日々忘れないで
暮らしていかないとな…とおもいます。
波江は、まだ帰っては行けない地域になっていますが
線量はちっとも高くない。
むしろ、こうやってきちんと測っていない首都圏や
その他の地域の方がどうなんだろう?
除染した土が入った、大きな大きな黒い袋が
たくさんたくさん積まれている町並みを見ながら
そうおもいました。
「仮置き場」だそうですが
「仮」設住宅もですが
いつまで「仮」なんでしょうね。
もう4年、経っています。
家から20歩で海。
「ここで毎朝、海を見ながら歯磨きしてたんだよね」って。
100歳のお祝い。この方、どうしただろう・・・。
あの年も、最初に復活したのは草花たち。
2015年04月11日
浪江町の今の様子
posted by 宮西 希 at 16:25| Comment(0)
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2015年04月09日
大堀相馬焼きで作られたタイル
波江町請戸小学校。
大堀相馬焼きで作られたタイルは
大津波に遭ったのに傷1つないんです。
すごい技術ですよね!すぐ横の壁はボロボロなのに。
このオットセイの絵のタイルも
なんと、床のタイルなんです。
傷がないのが信じられない!
日本の伝統ものの技術のすごさです。
posted by 宮西 希 at 08:58| 東日本大震災Music for You
2015年04月05日
門馬よし彦さんのこと
浪江町出身で3.11の震災で自宅を津波で流され
原発事故の影響で、流された自宅に戻ることもできない
そんな境遇で、歌を作り歌い続けている
シンガーソングライター門馬よし彦さん。
ただ歌がうまい、声がいい、というだけでなく
そこに住んでいた方でないと
作れない、歌えない歌を歌っています。
震災後、たくさんの作品が作られて
奇をてらったようなものも見受けられ
あまりいい気持ちがしないこともありました。
ところが、門馬さんの音楽・歌は本当に
本当〜に心にしみます。
先日2日間、一緒に過ごさせて頂いて
津波の被害に遭ったまま
原発事故の影響で、帰ることもできない家を
快く案内してくださいました。
原発で除染作業員として働いていたこともあり
私の突っ込んだ質問にも、怒らずに答えてくれました。
それで、一緒に演奏して分かったのですが
彼もまた、自分の歌で聴いてくれた人が癒されたり
気持ちよくなったり、優しくなれたり
そういう私と同じようなことを望んで
歌を歌っている方でした。
だから、私の演奏に対してもとっても優しい。
ラジオ福島の大和田アナウンサーが
「彼はただのデブではありません!
歌の上手いデブです!」
って言うけれど
門馬さんはにこにこニコニコ
あったかーいまぁるい性格そのまんま
それが素直〜にお顔の表情にも
そして彼から作られる曲とお声にも
表れています。
こんなに、被災してしまった人間の気持ちを
素直にあったかく歌う曲は
初めて聴きました。
こういう歌を、多くの方たちに知って欲しい。
たくさんの方達に、直接聴いて欲しいと思います。
『願い』
夢であればいいと 毎日 目を閉じるよ
いつもの穏やかな ふるさとを思い浮かべて
だけど 目に映る現実は 変わり果てた姿で
ため息しか出ないけれど 夢中になって歩いてる
数え切れないほど 悲しみがある中で
今、少しずつ動き出しているたくさんの「絆」
どんなふうになろうとも ふるさとが大好きさ
生まれて育った この町の 風が 大好きさ
何もかもが流されて 何ひとつ残ってないけれど
今 少しずつ 動き出している たくさんの「絆」
一人ひとりが心を奮い立たせて
明日へ 繋ごうと 歩き出している
涙をこらえて 笑う顔には
人の強さと 勇気が 溢れてる
勇気が 溢れてる
こちらから、YouTubeで聴く事ができます。
↓
門馬よし彦さんの紹介ページ
posted by 宮西 希 at 10:00| 東日本大震災Music for You
2015年04月04日
津波被害にあった小学校の黒板に
震災の時小学生だった子が
15歳以下は入ってはいけない浪江町にやっと戻ってきた証を
震災に遭った時いた小学校の教室の黒板に書いた。
「絶対に帰るから」
「われらは海の子」
そのまわりになぜ
宗教や企業や原発反対の文字を書くのか?
ここに来た記念ですか?
恥ずかしくないのか?
ここに連れて行って下さった
ラジオ福島の大和田アナウンサーは
「犬のマーキングと一緒だ」と憤る。
ただ、自分の来たってことを残したいだけ。
春日部九条会とかって、戦争放棄は私だって賛成だけど
ここにそんな政治的主張とか宗教とか書くのってちがうでしょ?
地元として非常に腹が立つ!
大人としてみっともないと思う。
この黒板、ここにいた人達がどんな想いで書いたものなのか
少しでも想像したことあるの?
最初に書いてあった文字は
「天は乗り越える事の出来る試練しか与えない」
だったそう。
励ましの言葉なら、まだ分かる。
でも、個人的な主義主張、会社名、宗教名って
自分の宣伝のために書いているの?
本当に、震災前の町を知っている人や
震災直後を見ている人
実際にそこにいた方々と触れ合っている人は
そんなこと、しないし、できないよ。
この町の人達の思いを、汚して欲しくない。
posted by 宮西 希 at 09:00
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2015年04月03日
浪江町請戸小学校のピアノ
請戸小学校音楽室では
4年間、人を、音を鳴らしてくれるのを待ち続けていたピアノに会いました。
思わずポロンと鍵盤を叩いてみたら、かすれた声で歌い始めた。
弾いているうちにだんだん、ピアノが鳴り始めた。
「待ってたんだね」って言いながら弾いていたら
ピアノのキモチがジンジン伝わってきて思わずグッと来た。
その時のピアノの音をラジオ福島の大和田アナウンサーが録音していて
夜の番組でON AIRしてくれました。
このピアノ、助けてあげたい。なんとかできないかな。
YAMAHAのピアノ。
音楽室では、卒業式で歌う予定だったのかな
「いつかまた いつか」
という歌詞が見えて、胸がズキンとしました。
このピアノたちの「いつか」を
実現させてあげなければ・・・!
posted by 宮西 希 at 12:12| 東日本大震災Music for You